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横浜地方裁判所川崎支部 平成4年(ワ)298号 判決

川崎市〈以下省略〉

原告

右訴訟代理人弁護士

武井共夫

石戸谷豊

東京都中央区〈以下省略〉

被告

野村證券株式会社

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

西修一郎

主文

一  被告は、原告に対し、金五三三一万六五四二円及びこれに対する平成四年七月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

(主位的請求)

被告は原告に対し、金七一七九万五二八八円及びこれに対する平成四年七月七日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(予備的請求)

被告は原告に対し、金二七六五万六五四二円及びこれに対する平成四年七月七日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

(一)  被告会社は有価証券の売買及び有価証券市場における売買取引委託の媒介、取次、代理等を営む総合証券会社である。

(二)  原告は、昭和六三年六月一七日に、被告会社川崎支店(以下「被告支店」という。)に総合取引口座を設けて株式の売買の取引を開始し、同年八月九日に信用取引口座を開設した。

(三)  原告は、被告に対し、次のとおり、平成三年五月一〇日までに合計六九六〇万〇七三七円を預託した。

平成三年一月九日 金一〇〇〇万円を現金で交付。

同年四月一七日 金一九〇〇万円を小切手で入金。

同年五月一日 金三八六〇万一一四九円を銀行小切手で交付。

同月一〇日 金一九九万九五八八円を銀行振込で送金。

(四)  原告は、平成三年二月頃より原告の担当をしていた被告支店の課長代理B(以下「B」という。)の勧めにより、別紙一覧表(以下「別表」という。)記載のとおり、同年五月一三日から千代田化工建設株(以下「千代建株」という。)の信用取引を始め、同年八月一二日に右取引をいったん終了したものの、同月一九日に再び開始して取引を続け、同年一〇月一八日及び同月二一日に右株を全て買戻して取引を終了した。

二  争点及び当事者の主張

(主位的請求)

1 日経平均先物取引の取次拒否について

(一) 日経平均先物九月限について

(原告の主張)

原告は、Bに対し、平成三年五月一〇日に、日経平均先物九月限一〇枚を成行きで売り注文したのにかかわらず、Bは取り次がなかった。

(被告の主張)

原告から右注文はなされていない。

また、法律論としても、右取引につき委任契約は成立していない。信用取引口座設定契約がある場合においても、証券会社が顧客の注文に応ずる義務があるか否かは右契約の内容によるのであり、原告との口座設定契約には注文を取次ぐべき債務がある旨の規定はない。証券取引法にも、口座設定契約を締結している顧客の注文を取次ぐべき義務が証券会社にある旨の規定は存しない。むしろ、証券取引はそれぞれ個々の証券売買の依頼に基づく委任契約であり、顧客からの売買の委託注文のみによって委任契約が成立することはない。

(二) 日経平均先物一二月限について

(原告の主張)

原告は、Bに対し、平成三年八月一六日日経平均先物一二月限一〇枚を成行きで買い注文をしたのに、Bは、これに反対し、重ねて注文を出しても「わかりました。」と答えるだけで注文をしなかった。一六日の夕方、右注文のなされていないことが原告に判明した。

(被告の主張)

原告からBに対して右注文はなされていない。また、法律論としても、前記1と同様である。

2 千代建株の信用取引の違法勧誘について

(原告の主張)

Bの、千代建株の信用取引の一連の勧誘行為は、断定的判断の提供かつ虚偽の表示又は重要な事項につき誤解を生じさせる行為に当たり、違法である。すなわち、Bは、右先物取引を「必ず失敗する。」「千代建で必ず儲かる。」として断念させ、「過去の実績として信用取引で負けたことがない。」「千代田は四月一九日に天井をつけたので下がるしかない。」「私に任せてくれ、徳島支店のときには東急の信用取引で西日本一の儲けをした。」などとして、断定的判断を提供し、「任せてくれ、必ず儲かる。」として、強引に信用取引を進めていった。

(被告の主張)

Bは、証券取引の知識経験が豊富な原告に対し、直接面会または電話により勧誘し、湾岸戦争により千代建株が象徴銘柄になり上がったので、相場として天井を打っていてこれ以上上がる可能性は少ない旨今後の見通しを述べて「売り」を勧めたのであって、断定的判断となるような勧誘はしていない。

3 千代建株の信用取引の無断取引による不法行為

(原告の主張)

別表21のうち六〇〇〇株と22ないし24のうち、売り取引は、原告が「五万株が限度だ。」という指示に違反してなされたものであり、無断取引である。したがって、買い取引を含めてその効果は原告に帰属しない。

(被告の主張)

(一) 別表21ないし24の売り取引は、原告の注文によりなされたものである。

原告は、被告の右各取引について、「残高の内容に相違ありません。」と記載された回答書に署名押印のうえ、数日後以内に、被告に返送している。仮に右売り取引が無断取引であったならば原告は右回答書に署名押印しなかったはずである。

(二) 仮に、右売り取引が無断取引であったとしても、

(1) (追認の抗弁)

原告は、右回答書に署名押印して被告に返送している以上、右回答書記載の右売り取引を追認したものである。

(2) 顧客の信用取引口座を利用した無断売買の法律効果が顧客に帰属しないことは原告の主張するとおりであり、顧客が証券会社に対して有する預託金などの返還請求権に何らの影響を及ぼすものではないから、顧客には何ら損害は生じないはずである(最高裁判所第二小法廷平成四年二月二八日判決)。

4 損害

(一) 日経平均先物取引について

(1) 日経平均先物九月限について

(原告の主張)

平成三年五月一〇日の注文日における安値は二万七二二〇円であり、右取引の最終取引日である同年九月一二日における終値は、二万二五〇〇円であるから、注文日の安値で売り、最終取引日の終値で買戻したとすると、差額は四七二〇円であり、取引単位は指値の一〇〇〇倍であるから、得べかりし利益の損害は、四七二〇万円である。

(被告の主張)

不法行為の損害の評価については、特別事情を予見しうる場合を除き、債務不履行又は不法行為時の価額によるところ、日経平均株価先物の値動きは予見しえないから、損害額の評価においては、その後の相場の上下による損失も利得も評価しえず、原告の得べかりし利益の損害の算定は不能というべきである。

(2) 日経平均先物一二月限について

(原告の主張)

平成三年八月一六日の注文日の高値は二万四〇〇〇円であり、最終取引日の終値は二万一八五〇円であるから、注文日の高値で買い、最終取引日の終値で売ったとすると、差額は二一五〇円であり、取引単位は指値の一〇〇〇倍であるから、二一五〇万円の損失を生じたことになる。

(被告の主張)

前記1と同様である。

(二) 千代建株信用取引違法勧誘による損害 合計一八三九万六七六二円

(原告の主張)

別表1ないし15の取引で、原告は、合計一一四二万八〇一六円の利益を得た。しかし、別表16ないし20及び21のうち一万四〇〇〇株の取引により、原告は合計金二九八二万六七六二円の損害を蒙った。

したがって、Bの右信用取引の違法勧誘により蒙った損害は、差引一八三九万八七四六円である。

(三) 千代建株信用取引無断売買による損害 合計二七六九万六五四二円

(原告の主張)

原告は、Bによる別表21のうち六〇〇〇株と、22ないし24の無断取引により、21については二万分の六〇〇〇である一二三九万六〇五三円、22ないし24については二三九七万七七二六円の合計二七六九万六五四二円の損害を蒙った。

したがって、原告は、Bの不法行為に基づき、被告会社に対し、右(一)ないし(三)の合計金七一七九万五二八八円の損害賠償請求をする。

(予備的請求)

1 預託金返還請求について

(原告の主張)

(一) 原告は、被告に対し、平成三年五月一〇日までに、前記一項(三)記載のとおりの金員を預託した。

(二) 被告が前記無断取引について損金処理をした預託金額は、別表21のうち六〇〇〇株については一二三九万六〇五三円の三割である三七一万八八一六円、22ないし24の売り取引については二三九七万七七二六円であり、合計二七六九万六五四二円である。

尚、右取引分を除いて平成三年九月一〇日以降の預託金額の推移を計算すると次のとおりとなる(乙八)。

九月一〇日 預託金残高 一〇五二万二五六七円

同月一七日 信用取引保証金残高 二五一五万六〇〇〇円

出金 入金

一〇月四日 四五〇万円

同月一七日 二〇〇万円

同月二三日 一〇六四万五一九二円

一一二六万三六九二円

同月二四日 二五九七万二九八五円

二一〇一万〇八〇八円

一八五六万三〇七〇円

一一月一四日 三一二万円

同月二六日 一三六六万八九六五円

九六〇万円

同月二七日 四〇六六万円

一二月五日 一万七二一三円

預託金残高 二七六九万六五四二円

(二) したがって、別表21のうち六〇〇〇株及び同表22ないし24の無断取引分の預託金について、原告はその返還請求をする。

(被告の主張)

(一) 別表21のうち六〇〇〇株と、22ないし24の売り取引は無断取引ではない。これらは、原告の注文による取引である。

(三) また、仮に無断取引であるとしても、原告の返還請求をしている預託金は、原告が無断取引であると主張している右取引と無関係の金員である。合計二七六九万六五四二円の出金は、それぞれ原告の注文に基づき、Bの担当で取引が成立したものであって、正当な会計処理である。そして、乙八(顧客元帳)記載のとおり、平成三年一二月五日に預託金残高ゼロとなっている。

2 平成三年九月四日の千代建株信用取引手仕舞拒否について

(原告の主張)

右同日、原告はBに対し、一八六〇円で手仕舞うように求めたにもかかわらず、取次を拒否された。

Bの右不法行為による損害は、現実の処分価格と、取引が全て成立して、一株一八六〇円で買戻しができた場合の価格との差額であるから、次のとおり、合計五〇四〇万円である。

別表 差額 株数 損失額

16 四四〇円 六〇〇〇 二六四万円

17 四四〇円 一万 四四〇万円

18 四四〇円 四〇〇〇 一七六万円

19 五七〇円 六〇〇〇 三四二万円

20 五七〇円 一万 五七〇万円

21 五五〇円 二万 一一〇〇万円

22 五七〇円 二万四〇〇〇 一三六八万円

23 二一〇円 一万 二一〇万円

24 五七〇円 一万 五七〇万円

合計 五〇四〇万円

(被告の主張)

原告から、右買戻しの注文はなかった。Bと原告との間で相場の相談があり、買戻しの話は出たが、Bは、予想としてまだ下がるという意見を述べ、最終的には原告は買戻しの注文をしなかった。

3 平成三年九月九日の千代建株信用取引手仕舞拒否について

(原告の主張)

右同日、原告はBに対し、二一〇〇円で手仕舞うように求めたにもかかわらず、取次を拒否された。

Bの右不法行為による損害は、現実の処分価格と、取引が全て成立して、一株二一〇〇円で買戻しができた場合の価格との差額であるから、次のとおり、合計二六四〇万円である。

別表 差額 株数 損失額

16 二〇〇円 六〇〇〇 一二〇万円

17 二〇〇円 一万 二〇〇万円

18 二〇〇円 四〇〇〇 八〇万円

19 三三〇円 六〇〇〇 一九八万円

20 三三〇円 一万 三三〇万円

21 三一〇円 二万 六二〇万円

22 三三〇円 二万四〇〇〇 七九二万円

23 マイナス三〇円 一万 マイナス三〇万円

24 三三〇円 一万 三三〇万円

合計 二六四〇万円

(被告の主張)

前記2と同様である。

4 平成三年九月四日、同月九日の千代建株手仕舞断念の違法勧誘による損害

(原告の主張)

仮に、被告の主張のとおり、原告の注文がなかったとしても、原告は右両日の手仕舞いの意思をいずれもBの違法勧誘により断念させられており、それにより手仕舞いを拒否されたのと同額の損害を蒙っている。

(被告の主張)

前記2と同様である。加えるに、買戻しの注文は買い付けの注文であるから、原告の買い付けを断念させるという不作為の勧誘が不法行為となるのか疑問というべきである。

5 被告は、Bの使用者として民法七一五条一項本文により、右損害を賠償すべき義務を負う。

第四争点に対する判断

一  前記争いのない事実、甲五及び六、八ないし一五、一九、二二、乙三ないし一一、原告本人、証人Bの証言及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

原告は、元兼松江商株式会社の取締役に就任した経歴を有し、長年にわたり株式等の信用取引や先物取引等の経験も有する者である。

原告は被告との間で、昭和六三年六月一七日に総合取引口座を設け、同年八月九日に信用取引口座を開設した。信用取引については、長期国債先物等の取引を行い、同年一〇月に、長期国債先物の信用取引で約三四七万円の利益をあげたが、平成元年には、右取引で約一四九万円の損失を生じた。また、平成元年ころから日経平均先物を中心とした証券先物取引を始め、同二年二月には、トピックス先物で約四三〇万円の利益を上げ、同取引で同年二月と六月に合計約一五九万円の損失を生じたものの、日経平均先物で、同年五月、六月、八月、一〇月、一一月に合計約六八〇〇万円の利益を得た。ところが、平成二年には日経平均先物で二月に約一億一〇〇〇万円、七月に約五〇〇〇万円という多額の損失を生じた。その後原告は先物取引は行わなかった。そのころ原告と被告との間には特段トラブルとなることはなかった。

原告は平成三年四月に兼松江商の関連会社の兼松電子部品の社長を定年退職し、その退職金や老後のための貯金、譲渡所得税の納付に予定していた約五五〇〇万円などを合わせ、同年五月一〇日までに、約九〇〇〇万円分の現金や株券を被告に預託した。

他方Bは、被告支店に平成二年一一月ころから勤務し、同三年二月ころから、原告担当となった。

原告は、Bの勧めで、それまで取引をしたことのなかった日比谷総合株を、五月八日に一〇〇〇株、同月一〇日に一〇〇〇株を買い、合計約一三〇〇万円の損失を生じた。

原告は、右日比谷総合等の損失を回復するためにも日経平均先物で利益を得たいと考え、五月一〇日朝、電話でBに連絡し、日経先物の九月限りを一〇枚、成行注文しようとした。これに対し、Bは、必ず損をするとして反対した。そしてBは、湾岸戦争が勃発し、千代建株が象徴銘柄になり上がり、相場としては現在天井を打っているので、これ以上上がる可能性は少なく、売り取引をしたら儲かる可能性が高いとして、同株の売りを勧誘した。

原告は、信用取引は、仕手筋の介入などで素人には危険であると考えていたが、Bが、「自分は過去の実績として信用取引で負けたことがない。千代建は四月一九日に天井をつけたので下がるしかない。私に任せてくれ。徳島支店のときは東急の信用取引で西日本一の儲けをした。任天堂の売りでも儲けた。」というので、原告は、これまでの被告会社との付き合いや、これから担当となるBとの付き合いも考え、少々であれば付き合おうと考え、同月一三日から、千代建株の信用取引を開始した。原告は当初取引をBに任せ、Bの判断で取引が行われ、売り先行や、買い先行、一日で売りと買いとを並行してするなど、一〇〇〇株から四万株までの取引が行われ、一度の取引で一億以上の代金が支払われることもあった。そして、同年八月一二日に、五万株の買決済をし、建玉はなくなり、右取引は終了した。同日までの右取引で、原告は一一四二万八〇一六円の利益を得た。右取引状況については、取引がなされる度に、およそ半月に一度の割合で被告作成の取引明細書が原告に郵送され、原告は、いずれも「残高等の内容に相違ありません。」と記載された回答書に署名押印のうえ、被告に返送した。

原告は、千代建株の信用取引が一旦終了したため、右取引を止めて、今度は日経平均先物取引を始めようと考えた。しかし、Bが、勝ち逃げをするのか、日経平均先物は損をする、千代建株は儲かるとして、引続き売り取引をするように強引に勧めたため、原告は再び千代建株の信用取引を始めることにした。

Bは、同月一九日から二三日まで夏期休暇であったが、その間、Cが原告担当となり、千代建株の取引を継続した。Bや原告がCに対し、右株について電話で指示をした。

Bは原告に対し休暇中の連絡先の電話番号を教えていなかったが、その間ソ連のクーデターによりゴルバチョフが失脚し、それに関連した相場の動きへの対応を相談することもあって、原告は、Cに右電話番号を問い合せ、Bに電話をした。

また、原告は、八月二一日に、Cに対し日経平均先物を一二月限りで二万二五〇〇円で指値の買い注文をしたが、同日の安値が二万二七四〇円であり、安値よりも低かったため、取引は成立しなかった。

Bは夏期休暇後の八月二六日に出社し、原告は再びBを介して千代建株の信用取引を始めた。右株について、八月一九日から二三日までに合計三万六〇〇〇株、同月二六日に二万株、同月二七日に二万四〇〇〇株、九月三日に合計二万株の売り取り引きがなされ、同月二六日には五万株を超えていた。被告は、八月三〇日作成の取引明細書を原告に郵送し、右書面は二、三日後に原告宅に到達し、原告は右株の八月二七日までの取引状況を知った。

原告は、Bに対し、九月四日に千代田化建株を一八六〇円で手仕舞うことを要求したが、Bは、そのころ、右株はまだ下がると考えていたため反対した。

しかし、日本証券新聞では、千代建株について、「仕手化再燃を読む向きも増えてきた」(八月一九日付)、「仕手株往来」(同月二〇日付)、「ひとハネ期待できそうだ。」(同月二二日付)、注目銘柄として取り上げる(九月九日付)などと、いずれも上がるという予測の記事が掲載され、現実に、八月一九日以降、千代建株は上がっていった。

原告は、九月二六日に、担当がBになってから初めて被告支店を訪れ、支店長に面会を申し込んだが、不在と言われて会えなかった。

右取引は、同年一〇月一八日、同月二一日に買戻して終了した。そのとき、Bは、原告に対し、「相場を見間違えた、もう勝てません。買戻します。」と言った。

原告は、一〇月二五日に、川崎駅付近の寿司屋でBと支店長とに会い、二〇〇〇万円以上の損失補償を要求した。同月二九日にも、原告は、支店長と面会し右取引状況について話したところ、支店長は、原告にBがミスリードした旨を述べた。

同年一一月一六日、Bは原告宅を訪ね、日経平均先物の取次拒否については終始否定したものの、結果的に千代建株で失敗したことを原告に詫び、今後の対応について話し合った。

二  日経平均先物取引の取次拒否について

1  日経平均先物九月限について

証券会社は商法上の問屋であり、顧客との関係については委任及び代理の規定が準用されるところ(商法五五二条一項、民法六四四条)、顧客が信用取引口座を設けたことだけで直ちに問屋としての忠実義務を負うものではないが、顧客の具体的注文や指示には応じる義務があるものと認められる(民法六四四条)。

これを本件についてみるに、原告と被告とは信用取引契約を締結し、基本的委託契約関係に入ったのであるから、被告は、原告から具体的注文がなされた場合には、それに応じる義務があるものと認められる。

前記認定、甲一九、乙七、証人Bの証言、原告本人尋問によれば、原告は、以前にも被告を介して日経平均先物取引を度々行っており、その際多額の損失を生じているが、それによるトラブルは何ら生じていなかったのであり、担当がBになってから、原告が再度日経平均先物取引を行おうとしても不自然でないこと、平成三年一一月六日の原告宅における原告とBの会話から、原告が日経平均先物取引について具体的な話を出したこと、それについてBが反対し、むしろBは千代建株の信用取引を勧めたことが認められる。しかしながら、平成二年までの原告の日経平均先物の取引状況をみると、原告は一日に二回等、続けて何回か取引を行っているにもかかわらず、本件では、一回しか取引の話は出ておらず、その後日経平均先物についての話題は少なくとも八月一六日までは出ていないこと、さらに、右注文不執行のクレームも、少なくとも千代建株の取引が最終的に終了するまでつけられていないこと、むしろBの勧めた千代建株の信用取引が、その後三ケ月にわたって継続的になされ、しかも、原告が、従前被告において行った信用取引などと比べものにならない多額の資金を投じ、多量の取引をしていること、それについて、原告自身Bに任せるようなつもりであったと供述していることなどが認められることに照らすと、原告は、Bの反対もあって、日経平均先物の取引をあきらめ、千代建株の取引を行う判断を自らしたものと認められる。したがって、原告がBに対し、日経平均取引を行うことの相談を超えて、右取引をするようBに具体的に明確な注文を出したとまで認めることはできない。

2  日経平均先物一二月限について

前記認定の事実、甲一九、証人Bの証言、原告本人尋問の結果によれば、原告は、Bの夏期休暇中、わざわざBの連絡先についてCに問い合せて電話をしているが、右電話は、注文をしたとする八月一六日の数日後であることから、Bが注文を執行しなかったことに対する抗議の電話であり、Bが原告の注文を執行しないからこそ、その後まもなく、Cに同月二一日に右株を指値で注文をした、とも考えられる。

しかし、八月一二日で千代建株の信用取引が一旦終了した後、原告はBの勧誘により、Bの夏期休暇に入る前に、再び右取引の開始を決めたことが認められるところ、その頃ソ連のクーデターによりゴルバチョフが失脚し、それに関連して千代建株の相場の見通しを相談する必要があり、原告はBにその相談をしたことを認めていること、その際、日経平均先物の売り注文の話も出たことが認められるが、原告は千代建の信用取引が一旦終了したので、右取引をやめて日経平均先物取引をしようとしたと供述しているところ、その後もBの勧めに従い、千代建株の信用取引を続け、右供述と相反する行動を取っていること、仮に原告の主張通りに注文をしたとすれば、取り引き額は二億を超えるところ、原告が右取引を五万株に限定したとしても、その取引額は四〇〇〇万円を超え、その額からしても、日経平均先物ではなく千代建の取引を選んだものと認めるのが自然であること、他方、日経平均先物については、Cに一度注文したのみで、その後の注文はなされていないことが認められることに照らすと、原告は、Bの反対にあって、迷いはあったものの、結局、前回同様、Bに日経平均先物の売りの相談をしたが、Bに反対されたため、右取引を断念して千代建の信用取引を継続することにしたものと認められる。よって、日経平均先物の注文は相談の域を出なかったものというべきであって、具体的注文はなされなかったものと認めるのが相当である。

三  千代建株の信用取引の違法勧誘について

前記認定の事実、甲一九、証人Bの証言、原告本人尋問の結果によれば、Bが原告に対し、千代建株について勧誘する際、「自信あります。大丈夫です。任しておきなさい。何を慌てているのですか。」などと言ったことが認められる。右のような話があれば、Bの当時の被告社員としての経験と地位を合わせて考えると、たとえ原告に株式取引の経験がかなりあったとしても、自由な判断を妨げられるようなかなり強引な勧誘行為がなされたことが推認される。

しかしながら、右文言は、値下がりの確実性について知り得た極秘の情報を示すなどという正確性を裏付ける具体的根拠を欠いたあくまで抽象的なものにとどまり、単にBの経験と勘とが信用できることを前面に押し出したものであること、千代建株が当時下降傾向にあったことは事実であり、Bの株価が下がるという判断に誤りはなかったこと、前記認定のように、原告は被告と取引を開始する以前から、仕事の関係上、証券取引については知識があったうえに、平成元年から被告を介して自ら取引を始めて多額の取引を繰り返し、信用取引についても多額ではないものの何回か行っており、通常の株取引と異なった信用取引の危険性について十分熟知し、相場の予想の難しいことを知っていたこと、にもかかわらず、Bの話に対し、原告自身少しだけなら付き合おうと思ったとして、右取引の承諾を与えたことを認めていること、さらに具体的な説明を求めることもなく、Bから勧められたわずか三日後に右取引を開始し、被告から、右取引明細書を受領して取引状況についてその都度確認し、残高確認についての回答書に自ら署名押印したうえで被告に返送しており、取引数が四万株を越えたり代金が一億円を越えることもあるなど、個人投資家としては規模の大きい取引がなされていたことについて知っていながら、特に株数や取引代金について注文をつけることなく、Bの自由な判断に委ね、三ケ月以上もの期間右取引を継続し、いったん右取引が終了した後にも再開し、Bの夏期休暇中に担当となったCに対しても、右取引を中止するようには申し出ていないことが認められる。

したがって、原告に対してBが行った前記勧誘行為が、社会通念上許容された限度を超えて不法行為の違法性を構成するとまで認めることは相当でないというべきである。

四  千代建株の無断取引による不法行為について

前記認定、Bの証言、原告本人尋問によれば、原告は、一貫して、Bの勧めに従い、千代建の信用取引を再び続けることにしたものの、その株数を五万株に限ったものと主張していること、原告とBは日頃電話で相場の話はしているものの、Bの担当する顧客は三〇〇人以上いることもあり、具体的に取引株数などの話までなされていたとは認められないところ、八月三〇日被告作成の取引明細書及び預り証券の明細書を、二、三日後である、九月初めに郵送され(乙九の七)、五万株を三万株も越える取引がなされていることをその時点で初めて知ったと認められること、その後直ちに、九月四日、同月九日には手仕舞いを要求し、同月九日以降新たな取引は行われず、一〇月一八日、二一日に全ての株を買戻して取引を終了し、また、九月二六日には支店長に面会を申し込み、一〇月二九日には支店長に面会して交渉し、損失補償を要求し、その後B自身が原告宅を訪問するなど、原告が取った右一連の行動に比べ、Bが原告担当となる以前は、原告は、昭和六三年から二年間以上被告を介して取引を行い、一時は七〇〇〇万円以上もの多額の損失を生じたにもかかわらず、特に支店長に面会を申し込むこともなく、何らトラブルもなく取引を続けてきたことをみれば、Bとの間で何らかのトラブルがあったと考えるのが自然であると認められる。

これに対し被告は、原告から五万株に限定する指示はなかったと主張し、それに沿うBの供述も認められるが、無断取り引きが行われていなければ原告が手仕舞いの要求をするのは唐突であるというべきところ、B自身、取り引き直後の九月初めに、原告から手仕舞いの話の出ていたことは認めているのに対し、なぜ突然そのような話が出たかについての合理的説明をできずにおり、この点に関する被告の主張は採用できない。

したがって、Bは、原告が五万株に限定した指示を出したものの、従前の五月ないし八月の取引の時も、結局はBの判断の下に行った取引を原告が承認した形となっているので、今回も同様になるであろうと安易に考え、強引に取引を進めたものであって、右取引は無断取引であったと認めるのが相当である。

これに対し、原告は、従前の取引と同様に、「残高等の内容に相違ありません。」と記載された回答書に九月八日付で署名押印をして被告に返送していること(乙三の七)、その後、九月三日、同月九日に行われた取引についての同月一三日付被告作成の明細書(乙九の八)を郵送され、同様に回答書に同月二三日付で署名押印して被告に返送していること(乙三の八)が認められ、前記認定のように、原告が証券取引に詳しいことを合わせ考えれば、原告の右行為は、無断取引の追認ではないかとも考えられる。

しかしながら、無断で行われた取引を追認すると言うことは慎重な判断を要する行動であるというべきところ、前記認定のように、原告は右返送と同時期の、九月、一〇月に無断取引を認めることと相反する一連の行動を取っているのであり、右回答書の返送は、原告主張のように、単にその内容を確認したにすぎず、その法的効果を認識したうえで行ったものではないと認められ、これをもって、原告が、Bの無断売買を有効なものとする意思をもって追認したとまでは認めることはできないというべきである。

五  平成三年九月四日、同月九日の千代建株手仕舞い拒否について

前記認定の事実、甲一九、Bの証言、原告本人尋問によれば、一一月一六日のBの原告宅訪問の際、原告は、九月上旬ころ、Bに対し、千代建株について、一八六〇円、二〇七〇円、二一〇〇円という極めて具体的な数字を挙げて、二度にわたり、買戻しの相談をしたこと、それに対してBは、原告の右要望が出たことを否定せずに、それに反対したことを認めていること、前日である九月三日には一八六〇円の指値で二万株を新規に売っており(乙九の八、一一の五)、九月四日の始値及び安値は一八六〇円、その三営業日後は九日で、同日に二〇七〇円で取引されており(乙九の八、一〇の二枚目)、前記原告宅訪問の際に出た数字と一致していること、その後千代建の新規取引はなされず、一〇月一八日及び二四日には全ての株を買戻したことなどの各事実が認められる。

ところで、前述のように、証券会社は商法上の問屋として顧客から具体的かつ確定的な処分要請がなされた場合、顧客が明確に右要請を撤回する意思表示をしない限り、委託された取引を取り次ぐべき義務があるところ、前記認定した事実と、当時、原告が無職で、退職金等自分の資産をほぼ全部被告に預託して、被告を介しての取引で失敗すれば、全資産を失うおそれのある状況にあったことをも考慮すれば、原告は無断取引がなされたのを知って、これ以上の損失を防ぐべく、Bに対し九月四日に手仕舞いの要求をしたにもかかわらず、それが取り次がれなかったため、九日にも同様に、手仕舞いの要求をしたものと認めるのが相当であり、他方、Bは、原告からの具体的注文の執行がなかったと供述するのみで、原告が右要求を撤回したと認めうる合理的説明をしておらず、他に本件証拠上右撤回を認めるに足りる証拠も存在しない。

したがって、九月四日に、原告は、Bに対し手仕舞いを要求し、Bの反対にもかかわらず、これを撤回しなかったものと認められ、Bには右要求に応じなかった義務違反が認められると解するのが相当である。

これに対し、原告は、九月一三日付被告作成の取引明細書(乙九の八)をその二、三日後に郵送され、九月三日の二万株、同月九日の一万株の取引について確認し、「残高内容に相違ありません。」とする回答書に同月二三日付で署名押印のうえ、被告に返送しているものの(乙三の八)、他方で、前記認定のように、それまでの取引と異なり、支店長に再三面会し、Bも原告宅を訪れるなど、右取引を黙認することとは相容れない行動を取っているのであり、右回答の返送をもって、Bの行為を有効なものとする意思をもって追認したとまでは認められないというべきである。また、現実に買戻しがなされたのは、一〇月一八日及び同月二一日であり、原告の手仕舞いの要求から約一ケ月以上後であるが、これは、一一月一六日のBの原告宅訪問の際、Bが原告に対し、自分独自の相場感により原告に迷惑をかけたことを認めていることからすれば、Bは、相場予測からすれば千代建株は下がると判断して原告の要求にもかかわらずなかなか手仕舞いをせず、放置したものの、予測に反して株価が上がる一方で、損害額が拡大するばかりであったため、ようやく一〇月になって判断の誤りを認めた結果であると推認される。

六  損害

1  無断取引について

前記のように、証券会社は、顧客の具体的注文があってはじめて善管注意義務を負うところ、無断取引については、顧客からの具体的注文がないのであるから、無権代理行為として、その取引の効果は顧客には帰属しないと解するのが相当である。したがって、本件においても、原告の被告に対する預託金返還請求権には何らの影響も及ぼさない以上、他に特段の事情の認められない本件では原告に損害が発生したと認めることはできない。

そして、本件では、預託金返還請求権については、原告主張額である二七六九万六五四二円が発生していると認められる。

2  手仕舞い拒否について

前記のように、無断取引が行われた場合、顧客には、証券会社に対する無断取引当時における預託金返還請求権が発生するが、右預託金が現実に返還されるまでこれを正当に運用できなかった損失については損害賠償請求権を有するものと解するのが相当である。

そして、九月四日に一八六〇円で千代建株の手仕舞い請求をしたが、これをBが拒否したものと認められ、これが預託金を現実に運用できなかった損害と評価でき、同日に被告が右取引を取り次いで取引が成立していれば、実際の取引価格との差額は、別表16ないし20及び21の一万四〇〇〇株について、各々の取引価格と一八六〇円の差額との合計である、二五六二万円であると認められる。

七  結論

よって、原告の請求は右1、2の合計五三三一万六五四二円及びこれに対する本訴状送達の翌日である平成四年七月七日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを認める限度で理由があるから認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川克介 裁判官 日下部克通 裁判官 野本淑子)

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